日暮れて道遠し

 今月はあっという間でした。と、いうか「日暮れて道遠し」という言葉の意味がつくづく身にしみる今日この頃です。故事成語としては知っていましたが、まさか自分がそれを実感するようになるとは・・・時間が足りない、命(私の場合はそこまで深刻ではなく根本的な体力不足程度ですが)が足りない・・・力が足りない・・・血を吐くような伍子胥の叫び、怒り、無念。万分の一もわかっているかどうか疑問ではありますが、少し感じることができたような気はします。

 何かにはなれるのか、何者にもなれないのか。本当に努力しているのか。そもそも自分のやっていることがはたして「努力」と呼ぶに値するものなのか・・・逃げ続けた結果が今の体たらくなのではないのか。本当の意味で自分の「無力や無能」と向き合っているのか・・・疑問は消えません。いつか、答えが出せるのでしょうか・・・